はじめに:注意事項
私は漢字学・文字学素人です。別に研究しているわけでも、研究していたわけでもありません。ただいくつか本を読んだりして勉強をしているというだけです。それでもって、昔の言語とか、中国語に関してはほとんど知識がありません。つまり何が言いたいかというと、この記事の中には間違った情報があるかもしれないよということで、もしそういうのがあったら教えてください。
なお、本記事で扱うのは「中国における漢字の誕生と歴史」のような文脈で語られる「漢字」についてです。日本語における漢字使用の話とかになるとまた違う話になってくるのでその辺に関しては考えません。
この記事を書こうと思った経緯
さて私は先ほど述べたように文字についてはサクッと勉強しただけの人間ですが、そんな私でもわかるような漢字や文字に関する誤解というのが巷には多く存在します。それでもって、その誤解を、あたかも正しい学説かのように扱っているコンテンツも非常に多く存在します。というかそもそも文字や漢字について正しい*1情報の書かれているコンテンツは、書籍を含めてもまずそれを見つけるのが大変です。だから巷にあふれているコンテンツの情報の不正確さにはしかたない部分もあるんですが、それはともかくとしてそういう誤解がまかり通っているのは悲しい、と思ったのと、最近漢字に対して誤解していそうなものを見つけこの記事を書こうと思った次第です。本当はもっと詳しい人に書いて欲しいけど誰も書いてないみたいなので私が書くかあ、といった感じです。
漢字についてのよくある誤解
さて、この記事において取り上げたい話題は以下のようなものです
ここに、「ただし漢字は表意文字と言っても、例外として漢字の中にも表音文字専用の文字もあるよ」みたいな補足が入ることもありますが、いずれにせよこの主張は漢字という文字体系の本質を捉えていません。
結論を先に言うと、現在の通説では、漢字は文字の分類としては「表語文字」と言う分類に分けられています。が、そもそもこれもあんまり適切な分類とは言いにくいです。私なりのざっくりとした解釈を言うと、漢字というのはある意味でほぼ全て表音文字であるということです(この主張はだいぶ雑なので鵜呑みにはしないでください)。
そもそも文字はどうやって生まれたか
さて本題を話す前にまず、文字がどうやって生まれるのかということについて理解しておく必要があります*2。
文字が生まれる以前、人々は文字以外の手段、例えば絵とか紐とかトークンとかを使って情報を記録したり伝達したりしていました。ひとまず絵による情報の伝達が主流だったことを考えてください*3。
絵でも結構色んなものが記録できますが、絵では記録できない情報もかなりあります。あるとき、絵では表せない(が、言語だと表せる)情報を記録したり伝達したりする需要、つまり文字が誕生する機運が高まります。この「絵では記録できないもの」、というのは、抽象概念も含まれますが、よりクリティカルには、例えば人名などの固有名詞などです。逆にこういったものが記述できなければそれは文字たりえません。(言語を記述する機能が不十分だからです。つまりただの絵になってしまいます)
このようなものを記述したくなる動機は、文明が発達してコミュニティが大きくなって、民と年貢の管理をしなければいけないからじゃないか、とか言われています。そのためため文字の誕生には支配階級が存在するほどの文明が必要だ、とか言われていたような気がします*4。
文字を生み出す、といっても文字というのは書いたものが読めるものでなくてはなりません。ではどうしたかというと、判じ絵の原理(rebusの原理)を用いることで、今まで使っていた絵を「文字」として転用したのです。別の言い方をすると、あて字をしていたわけです。
たとえば英語の I beliefを記録するために「👁🐝🌿」と記録することでeye bee leafと読ませてI beliefを復号化(つまり、文字を読むということ)できるようにした、といった具合です。
しかしこのように絵を判じ絵の原理で運用して言語を記録する手法には、復号化する際に欠点がありました。同音異義語が区別できなかったり、一つの絵に対して複数の読み方ができる場合に(例えば🔥はfireかlightかflameか、みたいなこと)単語を復号化するのが難しいのです。そこで単語の後ろに意味を表す絵を付け加えて復号化しやすいようにしたのです(日本語で例えると「あめ☂」「あめ🍭」みたいな感じ)。決定詞とか限定詞、あるいは決定符、限定符とか呼ばれるやつです。
実際ヒエログリフや楔形文字*5は判じ絵の原理+限定符を用いるという運用で使われていました。
じゃあ漢字・甲骨文字はどうだったか
前置きが長くなりました。本題の漢字がどういうシステムの文字体系か、と言う話ですが、ヒエログリフなどと同じように判じ絵の原理+限定符により成り立っています。漢字の世界の用語でいうと仮借(ざっくり言うと当て字のこと)と形声(ざっくり言うと、偏+旁のシステムのこと)です。あらわしたい「語」に対応する文字が書きたいとき、そしてその語に対応する専用の文字がなかった場合は基本的にこのシステムによって文字が新しく作られる/すでに存在する字を使って表す、ということをしていました*6。例えば中国語の一人称でお馴染みの「我」ですが、これは元々ノコギリの絵であり、ノコギリを表していました。しかしそのノコギリを表す中国語*7がたまたま一人称を表す語と同じ(あるいは近い)発音であったため、これが一人称を表す語を表すようになりました。他にも、漢字の当て字の用法で現代まで残っている例だと、「花」は現代中国語で🌸の意味だけではなく、(お金や時間を)費やす、と言う意味もあります。これもまた「発音が一緒だから」という理由によるものです。
「莫」は日が沈む絵で日暮れを表していましたが、これは否定の副詞を表すようになりました。それでは元の日暮れの意味がうまく表せなくなるので、限定符(漢字で言うところの意符)を付け加えて暮という漢字が作られました。他にも同じ読みで他の意味を表したい時には、幕、慕といったような字が使われました*8。
つまり、ここでやっと冒頭の話題に戻りますが、漢字は主に「意味を組み合わせる」ではなく、「音を表す」ことがメインで成り立っている文字体系だということです。つまり文字体系として見たときには漢字は「表意文字」ではないということです。
補足として、漢字は「音を表す」ことがメインと言いつつも、「表音文字」として分類される文字とは違い、各文字は音以上の情報を持っていて、どの語にはどに文字をあてる、ということが大体決まっています。そのため漢字は文字が「語」を表すということで、「表語文字」という分類がなされています。
漢字の当て字(仮借)の用法に関してはnkayさんのブログが詳しい上にとても分かりやすいのでこちらをご覧ください
形声字についてもnkayさんのブログに詳しくまとまっています。
なぜ漢字は「表意文字」だと思われているのか
現在学校でも習い、色々なところで出てくる漢字の成り立ちの分類として「象形・指示 ・会意・形声」という分類があります。そしてこの4つだけで全ての漢字の成り立ち(ただし意味も字形も最近の漢字を対象にしている)を解明しようとしていることが多いと思います。この問題点として、
- 仮借用法を考えていない
- 昔の中国語の音のことを考えていない
- ある字の昔の字を見てみると違う形をしている場合もあるが、現在の字形で考えてしまっている
- 「象形・指示 ・会意・形声」の分類のうち「会意」が過剰に適用されがちである
というのがあるのですが、このあたりを説明するとまた長くなるので置いておくこととします。この「象形・指示 ・会意・形声」の分類ですが、これは後漢(昔の中国)の許慎という人が『説文解字』という著書の中で定めた分類であり、できたのは起源1-2世紀ごろです。当時は漢字が誕生してから1000年以上も経っており、甲骨文字についても知られていませんでした。その時代のフレームワークが(多少のマイナーチェンジこそありますが)ずっと使われているわけです。古代エジプトのヒエログリフについても、それが表意文字ではない*9とわかったのは18-19世紀頃の話です。つまり何が言いたいかというと、漢字について、学説がアップデートされていないということです。もちろん、漢字や文字の研究者たちの中ではきちんとアップデートされてはいるのですが、それがなかなか世間には届いておらず、古い考え方に基づいた漢字の話が再生産され続けているというわけです。昔の中国語の音がどうとかそういう話は分かりにくい一方、古い考え方に基づいた漢字の話(例えば、「民」は目をつぶしている様子だから民衆とは盲目なのだ、とか)は分かりやすいしキャッチーで広まりやすいですしね。
*1:正しい/正しくない学説ってなんやねんって突っ込まれそうですが、ここでは便宜上これらの表現を使わせてください
*2:こんなことを書いてしまいましたが、私の知る限りだと文字がどうやって生まれたのかについてはまだまだわかってないことが多く、ここで述べていることもあくまで仮説です。そしてわかりやすさのために私がその仮説を組み合わせて勝手にストーリーを組み立てています。
*3:話がややこしくなるので割愛しますが「文字の起源が(全て)絵である」という主張には割と批判もあって、トークンとかそういったものが起源はないか、という説もあります。トークン起源のほうが絵文字期限よりも有力な気がしますがこっちもこっちで色々批判があります。とはいえこの情報も古いので現状何が支持されているかは知りません
*4:同じ理由から支配階級の存在が想定されていない時代の「文字のような絵」については原則文字ではなく絵であると考えられます。
*5:あと確かマヤとかアステカとかそのあたりのメソアメリカの文字も
*6:「歪」など、例外もありますが、そんなに数は多くありません。
*7:これはもちろん昔の中国語のことです
*8:実際のところはこんなに単純な話ではなく、もっとごちゃごちゃでいろんな文字が使われていたと思いますが、私がそのあたり詳しくないのと、分かりやすさのために割愛します
*9:ヒエログリフも文字体系としては「表語文字」ではありますが、その中の文字として「表意文字」と分類される文字もあります。